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未完成年譜

1915年(大正4年) 0才
1月4日 東京市芝区*三島町8番地で、父桑野半二郎、母よしの長女として生まれる
 父半次郎は埼玉県北足立郡南平柳村(現在の川口市)の出身で、旧姓は「舟津」
 婿養子であった

*現在の港区芝大門一丁目

1919年(大正8年) 4才
母よし死去(父はのちに後妻となる、おあさと再婚)
 娘みゆきも、4才にして母通子を亡くすことになる
兄と 母とともに


1921年(大正10年) 6才
4月 *芝区立桜川小学校に入学

*平成6年に御成門小と統合により閉校

1923年(大正12年) 8才
9月1日 関東大震災で家が焼失、先生の処で従姉と三味線を習っている時に被災
 混乱の中、赤十字で家族と再会後、増上寺に避難しバラック生活を強いられる


1924年(大正13年) 9才
父が*日蔭町で簡易食堂を開く、病身の兄に代わって店を手伝う

*現在の新橋東口駅前あたり

1927年(昭和2年) 12才
高等女学校時代 この頃、高輪中学に通う兄の同級生に恋心を抱いたとか、抱かないとか
 (スイートガール時代に小樽で再会したらしい)
3月 桜川小学校卒業
4月 *三田高等女学校に入学、成績は優秀だった。

*現・戸板学園中高部

1927年(昭和3年) 13才
船 三田高等女学校二年時に描いた絵画、船


1927年(昭和5年) 15才
地図 三田高等女学校四年時に描いた地図


1932年(昭和7年) 17才
静岡のデパートで、右端がミッチー、御影公子とともに 3月 三田高等女学校卒業
4月1日 森永の*第1回スイートガール(キャンペーンガール)として
 森永製菓に入社し、全国のチェーン店を巡り宣伝活動を行う
   同期に後の女優御影公子がいた

*この企画発案者であった宣伝部斎藤芳太郎氏との間に、
 後年桑野みゆきが生まれる

左から2人目がミッチー、右から2人目が御影公子


1933年(昭和8年) 18才
2期生とともに、下段中央 11月16日 森永製菓協力の松竹映画『沈丁花』公開日に、
 産絲会館で野村芳亭監督へ花束を渡し監督の目に留まる


1934年(昭和9年) 19才
1月 森永製菓を退職する
2月 赤坂溜池のダンスホール"フロリダ"のダンサーになる
 ダンサーとして活動したのは半年ほどであったが、すぐにNO.1となる
3月 松竹映画『情炎の都市』にダンサーとしてエキストラ出演している
 目にものもらいができ、眼鏡をかけていて目立たなかった
7月 松竹蒲田の*野口鶴吉にスカウトされ松竹所属女優となる
10月 赤坂幸楽で発表披露宴/丸の内松竹で『金環蝕』の試写会、報知講堂で挨拶
11月 清水宏監督の『金環蝕』でデビューし、黒田記代が抜けた"ラッキーセブン"の一人にもなる

*後に松竹取締役、平成15年1月24日 99才で逝去

<出演作品>
金環蝕、恋愛修学旅行、大学の若旦那 日本晴れ
 
1935年(昭和10年) 20才
軽井沢町発行軽井沢交通案内の表紙に「彼女は嫌と言ひました」ロケ隊が 雑誌蒲田3月号の表紙を飾る
この冬、奥日光と水上にスキーに行く
松竹では、ラッキーセブンに三宅邦子を加え"ペットスター"とするが、
 『彼と彼女と少年達』で共演した上原謙と組ませ"あいあい(愛々)コンビ"
 として売り出す
1月1日〜4日 藤井貢、久原良子と共に『若旦那 日本晴れ』挨拶で
 甲府中央館へ
1月29日 上野精養軒で座談会
2月15日 『東京の英雄』発表、JOAK(NHK)ラジオ出演
5月14日 日本青年館で『若旦那 春爛漫』披露挨拶
6月12日 大磯海岸で松竹女優の水着撮影会に参加
10月12日〜16日『恋愛豪華版』のロケで上高地へ
11月14日 浅草帝国館で1000人?の客にサインサービスをする

<出演作品>
東京の英雄、女の感情、若旦那 春爛漫、彼と彼女と少年達、海の兄弟、 双心臓、船頭可愛いや、麗人社交場、永久の愛(前篇・後篇)、恋愛豪華版、 彼女は嫌と言ひました

1936年(昭和11年) 21才
1月15日 蒲田撮影所閉所式、名残の焚火を囲んで蒲田行進曲を合唱する
お盆の興行で三宅邦子らとともに、京都南座で舞台挨拶
高杉早苗とともにNHKのラジオに出演

<出演作品>
悲恋華、若旦那 百万石、感情山脈、有りがたうさん、家族会議、僕の春、愛の法則、自由の天地、 男性対女性、潮来追分、女のいのち、青春満艦飾、わが母の書

1937年(昭和12年) 22才
ゆかた姿 1月10日 上原謙、夏川大二郎、高杉早苗、三宅邦子とともに松竹幹部に昇進
2月15日 『淑女は何を忘れたか』の銀座ロケ、明治製菓売店喫茶室シーンで
 クランクアップ
『母の夢』撮影後、10日間の関西旅行に出掛ける
5月 サンデー毎日の夕べに出演
8月以前 芝区芝公園14号地14に、一軒家のモダンな新居を構える
 ファンの建築家から格安で譲り受けたもの(昭和20年の空襲で消失)
秋 自動車免許取得、初日ダットサンに乗るも銀座松屋前で軽い接触事故
この頃から東宝の引き抜き攻勢が始まる

<出演作品>
花嫁かるた、淑女は何を忘れたか、桃子の貞操、母の夢、恋も忘れて
男の償ひ前篇・後篇、水郷情歌 湖上の霊魂、進軍の歌

1938年(昭和13年) 23才
1月25日 マネージャー堀越朝子結婚
京都・阪神・奈良へ5日間のプライベート旅行
この頃、大船撮影所での技芸練習会で洋楽専門の「オオフナ・フォーリーダンサント」のメンバー
 だった。他メンバーは水戸光子、三浦光子、川名輝、山村条二、浜崎要

<出演作品>
新家庭暦、銀色の道、姿なき侵入者、螢の光、わが心の誓ひ、純情夫人、炎の詩、大地の妻
家庭日記、結婚の宿題、日本人(昭和篇)

1939年(昭和14年) 24才
新女性問答主題歌・「純情の丘」歌詞カード 1月19日 都内で正月挨拶
1月25日 銀座3丁目4番地に甘味の老舗塩瀬総本家提携のおしるこ屋
 『銀座の店』が開店、2階は桑野式健康美容室
 (現在この地は山野愛子美容室) 
『銀座の店』開店後、結婚のデマ流れる
2月2日 警視庁の検閲で陸海軍の軍服を着用したブロマイドが発禁となる
4月8日 『愛染かつら』ヒットを記念した桂植樹式(撮影所本館正面前)に参加
10月 他社の引き抜き攻勢の中、松竹と4年の契約更新

<出演作品>
向日葵娘、結婚天気図、兄とその妹、続愛染かつら、新女性問答、栄華絵巻
日本の妻(前篇流転篇・後篇苦闘篇)、黒潮、波濤、花嫁競争、愛染かつら完結篇、新妻問答

1940年(昭和15年) 25才
四季の夢主題歌・歌詞カード 浜松のアトラクションでタンゴを踊る、久原良子と林和子は日本舞踊を披露
この正月以来体調を崩し長い病床生活
4月1日 初めての時代劇『水戸黄門』撮影の為、女中のおとしさんを伴って
 特急「富士」で京都へ、 旅館は松ノ屋、7日には大阪で家族と合流し、
 親戚を訪ね方々四国旅行へ

<出演作品>
私には夫がある、四季の夢、水戸黄門、女性の覚悟(第1部純情の花・
第2部犠牲の歌)、愛の暴風、楽しき我が家、結婚青書、薔薇命あらば、
西住戦車長伝

1941年(昭和16年) 26才
病気のため『戸田家の兄妹』の撮影が遅れる、出番が少ないのはこの為か?
兵士への慰問袋に入れられた歌詞入りブロマイド「そうだその意気」
<出演作品>
戸田家の兄妹、元気で行かうよ、脂粉追放、花、踊る黒潮

1942年(昭和17年) 27才
『間諜未だ死せず』を撮影中だったが、急遽木暮実千代に交代
7月17日 長女みゆきを出産、産後初出演は翌年の『をぢさん』
『間諜未だ死せず』スチール

<出演作品>
新たなる幸福、人間同志

1943年(昭和18年) 28才
<出演作品>
をぢさん、秘話ノルマントン号事件 仮面の舞踏

1944年(昭和19年) 29才
みゆきちゃんを抱いて
<出演作品>
おばあさん、天狗倒し、不沈艦撃沈

1945年(昭和20年) 30才
3月 東京大空襲で芝の家を焼け出され、横浜市鶴見区(獅子ヶ谷町?)に移り住む
斎藤氏(当時総務部庶務課長)が森永製菓を退職し”桑野芸能社”を設立

<出演作品>
ことぶき座、伊豆の娘たち

1946年(昭和21年) 31才
3月29日 大船撮影所第2セットで『女性の勝利』撮影中の午後5時半頃、突然昏倒し大船病院に入院
 昏倒前の最期の台詞は、「私も強く生きますわ」だった。
4月1日 午後9時23分逝去、死因は子宮外妊娠による出血多量
4月12日 大船撮影所で松竹社葬(大船撮影所葬)が行われる

新聞の訃報記事(昭和21年4月3日)
読売新聞 朝日新聞 毎日新聞



  横浜市鶴見区*獅子ヶ谷に眠る
戒名「智光院瑞芳妙薫信女」

*当初羽田正蔵院の桑野家墓所に埋葬されたが、昭和36年にみゆきさんが造った獅子ヶ谷光明寺墓地に改葬された

<出演作品>
女性の勝利


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永遠の桑野通子
MICHIKO KUWANO FOREVER



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